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2019年03月06日

コラム/最適物流の科学⑦

最適物流の科学

 

弊社社長の菅が、2017年12月に『最適物流の科学―舞台は36106万平方km

海を駆け巡る「眠らない仕事」』という書籍を出版しました。

 

そこで、本ブログでも、その書籍から抜粋した内容を

毎週1話ずつ、ご紹介していきたいと思います。

 

第七回となる今回は、コンテナ輸送の誕生のお話しになります。

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「コンテナ輸送の誕生は1940年代」

 

現在、定期船の主流になっているのはコンテナ船ですが、コンテナが海上輸送で本格的に使用されるようになったのは約半世紀前のことです。その登場は、海運業界に革命ともいえるくらい大きな変化をもたらしました。

 

さまざまな貨物を中に収めるコンテナという箱自体は、19世紀の段階ですでに使用されていました。ただ、それは鉄道や自動車での輸送で利用するためのものでした。これが船舶で使われるようになったのは、20世紀半ば近くになってからです。コンテナ船は、アメリカ人のトラック運転手、マルコム・マクリーン(Malcolm P. McLean)が、1940年にトレーラーを海上輸送に利用したことが起源になっていると伝わっています。

 

マクリーンは1956年、大手船会社のウォーターマン・スチームシップ(Waterman Steamship Co.)を買収し、タンカーを改装してコンテナ輸送を始めました。当初は、トレーラーなど車両をそのまま船に収納するRORO船の方式で輸送していました。ここからさらに積載効率を高めるため、コンテナを車両と切り離すとともに、船倉内にセルガイド(垂直のガイドレール)を設置して積荷を固定する方法を開発します。

 

彼は1960年に社名をシーランド(Sea-Land Service Inc.)に改め、1966年には、フルコンテナ船を「ニューヨーク ― ロッテルダム間」に就航させました。これが国際定期路線におけるコンテナ化の先駆けとなります。また、アメリカのマトソン社(Matson Navigation Company, Inc.)も、翌1967年にコンテナ船を太平洋航路に就航させました。

 

コンテナ船が本格的に利用されるようになった1960年代は、ベトナム戦争が拡大する中、戦地への物資輸送も急増しました。

 

シーランド社はベトナムに向けた軍用物資の輸送にもコンテナ船を投入し、輸送効率に優れたその輸送能力が注目されたのです。

 

当時アメリカ軍は、ベトナムに派遣された兵士たちの戦意高揚のため、母国にいた時とできるだけ同じ生活をさせるという方策を取っていました。そこで、コンテナにコカコーラをはじめとするアメリカの食品、日用品を大量に積んで現地へ送るようになります。コンテナは現地で倉庫として使われることもありました。

 

また、大量の物資を送り届けた船は、帰りには戦争で亡くなった兵士の遺体を乗せて帰国しました。こうした戦地への物資の輸送を機に、コンテナ船は飛躍的に発達していったのです。

日本では1968年、日本郵船が昭和海運、アメリカのマトソン社と提携し、初の外航コンテナ船となる「箱根丸」を、日本とカリフォルニアを結ぶ航路に就航させました。この船は日本初のフルコンテナ船であったと同時に、当時世界最大のディーゼルエンジンを搭載していました。

 

これにより「東京 ― ロサンゼルス間」がわずか9日で結ばれることになります。それまで往復で80日要した太平洋航路が、30日に短縮されました。

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つづく。

次回は、貨物の運搬効率を上げたコンテナ化のメリットついてお話しいたします。

 

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最適物流の科学――舞台は36106万平方km。海を駆け巡る「眠らない仕事」

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投稿者

ジャパントラスト株式会社 

 


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